アプロ君のいちからわかる経済教室;資本とは何か

経済

私たちが暮らしている現代社会は言うまでもなく資本主義社会です。
資本主義社会というのは文字通り資本が支配する社会です。資本の支配のもとにモノやサービスが提供され、それを国民が消費して経済が成り立っている社会と言えます。
そこで、今回はこの資本主義社会特有の構造と仕組みについて考察していきたいと思います。資本とは何か、資本主義経済の構造とその特徴など、私たちを取り巻く経済の仕組みについて立ち入って考えてみたいと思います。

そこで、最初に資本とは何かについて考察してみましょう。

・資本としての貨幣

私たちの暮らしや経済は貨幣(おカネ)無くして成り立たないことは言うまでもありません。日常生活においておカネでモノやサービスを買い、それを利用することによって生活しているのです。
おカネの機能(役割)については以前のブログで4つの視点から考察したのですが、実はこの4つの機能の他に大変重要な機能が存在するのです。
それは一言で言いますと、貨幣が貨幣を生むという機能です。つまり、一定額のおカネでより多くのおカネを生むことが出来るという働きです。例えば、1億円のおカネを動かして2億円のおカネに増やすといったように。これは一見まことに奇妙な役割と言えます。
これは1億円の価値を2億円の価値に増やすということなのですが、いわば価値の自己増殖と言えるでしょう。

ただこの場合、偶然にたまたま増えたというよりも、意識的な働きとして、目的意識的な活動の結果としての自己増殖なのです。
ある個人が、賭け事なんかで一時的に儲けを得たということではなく持続的な活動の結果として得ることが出来る増殖なのです。

例えば、銀行に預金した場合は一定の利率で金利がついて数年後には当初の預金額よりは増えて戻ってきますよね。あるいは株式投資で運用して株価の値上がりによって投資額より増える場合がありますが、このような貨幣額の増加をもって資本とは言わないのです。

資本としての貨幣は一定の生産関係を反映しているのです。例えば、会社を起こす場合に、ある程度の資本金が必要とされますが、その資本金で事務所をかまえたり、設備を購入しますよね。また、従業員を募集して規模に応じて雇うことも不可欠になります。
このように、一定の利益を目的として従業員を雇って会社を運営するのですが、この時に投資する貨幣は資本として機能するわけです。

要するに、人を雇い意識的な価値増殖を目的として機能する時の貨幣が資本となるのです。
資本主義経済において、すべてのモノやサービスの提供はこの資本の営みによって賄われているのです。

それでは一定の生産関係のもとで、意識的な価値の自己増殖はいかにして行われるのでしょうか。

・自己増殖の仕組み

この問題を考えるうえで注意すべきことは、資本主義経済において商品の売買は価値通りにおこなわれるということです。すなわち、商品の流通過程において価値法則が貫徹していることを前提に考えなければならないということです。

ということは、商品の交換過程では価値の増殖は起こりえないのですから、価値増殖は特定の商品そのものの消費から生じるしかないのです。言い換えれば、商品の価値からではなく商品の使用価値から生ずるということです。

そこで、その仕組みについて立ち入って考察してみたいと思います。

自己増殖する資本としての主体は企業(会社)です。企業は一定額の資本で生産手段を購入し、労働者を雇うことから始めます。これは商品を生産するための絶対的な要素なのです。

そこで、企業に雇われた労働者は生産過程において、生産手段を活用して商品を作るのですが、この時、労働者が労働する過程は、一方において使用価値としての商品を作り、他方においては一定量の価値物としての商品を作りだすのです。すなわち、労働者の労働過程は使用価値の生産過程であり、価値の生産過程と言えます。

すでにみたように、商品価値の実体は労働であり、価値の多いさは労働時間によって規定されるので、価値を創造する過程としての労働時間が問題となるのです。
そこで、企業に雇われている労働者は労働力を提供して、例えば8時間の労働をした場合には8時間の価値を生むのですが、この時に労働者が賃金として受け取るのは8時間の価値物ではなく、労働力の価値に該当する価値分を受け取るのです。
つまり、表面的には8時間の労働の報酬としてあらわれる賃金は、労働力の価値として受け取るのです。

かりに、1日当たりの労働力の価値が4時間とすると、労働者が受け取る賃金は4時間の価値を意味しているのであり、残りの4時間分は企業の手中に残る価値、すなわちこれが資本の機能として生産された価値の増殖分になるのです。
もし、企業が労働者によって作られた価値の全体を労働者に賃金として支払うならば、企業に残る価値分はゼロになるので、要するに企業の儲け分はゼロということになります。これは常識的にはあり得ないでしょう。

こうして、企業は一定額の資本で生産手段と労働力を商品として買い入れてから、目的とする商品を生産する過程で、価値の増殖を成し遂げているのです。そしてこの価値の増殖分が企業の儲けになるのです。要するに企業が得る利潤なのです。

以上みたように、価値の増殖は商品としての労働力の消費過程でおこなわれるのです。すなわち、労働力の使用価値にその源泉があると言えるのです。
こうして、企業は例えば100億円の資本金を投資して、10億円や20億円の利潤を得るために絶えず価値増殖の運動を繰り返すのです。

このように、価値増殖する資本の運動をみるうえで、その源泉である「労働力」商品について把握することが決定的に重要であることが分かります。

そこで、次にこの労働力という商品について立ち入って考察してみたいと思います。

・「労働力」商品

先に、資本としての運動を担保する決定的なものが「労働力」商品であり、労働力の特殊な使用価値にあることを考察しました。そこで今回は、この「労働力」商品の価値にスポットをあてて考察してみたいと思います。

上述したように、労働者が企業と交換するのは、労働そのものではなく労働力をその価値に基づいて交換すると言いましだが、この時に労働者が「労働力」商品の価値として受け取るのが他でもなく賃金なのです。要するに、企業が労働者を雇って労働者に支払う賃金は「労働力」商品の価値をあらわしているのです。

ところが、この賃金は一見、労働者の労働に対する報酬のように見えますよね。
例えば、労働者が企業(会社)から受けとる1ヶ月の賃金は、1ヶ月間の労働に対して支払われる報酬のようにあらわれるのです。
パートタイマーの労働などは時給で受け取る場合は、それこそ労働時間た給料が支払われるので、まさに労働に対する報酬として賃金が支払われているように見えます。

しかし、すでにみたように「労働の価値」として賃金が支払われるなら、企業が受け取る儲けの分、すなわち剰余価値(利潤)が生まれる余地がなくなってしまいますよね。
どういうことかと言いますと、例えば労働者が8時間労働して作り上げた価値をその全部が賃金として労働者に支払われるなら、企業に残る部分がまったく無くなってしまうのです。
すなわち、企業の儲けの部分である剰余価値が発生する余地がなくなるということです。これは常識的にあり得ないことです。企業が労働者を雇い生産活動をするのは一定の儲け、すなわち利潤(剰余価値)が目的なのです。

こうして、労働者が企業に売るのは、労働ではなく労働力を商品として売るのであって、この「労働力」商品の価値が賃金なのです。
言い換えれば、賃金とは労働力という商品の価値・価格であって労働の価格でもなく、労働に対する報酬でもないのです。これは、資本主義経済を見るうえで決定的に重要なポイントと言えるでしょう。

資本主義社会に生活している私たちがよく経験することでありますが、表面に現れている現象と、その内実が乖離することはよくあることであって、賃金はまさしく内実が違った形で現象している、言わば本質と現象の乖離が典型的にあらわれている資本主義経済システムの象徴的な範疇なのです。

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