アプロ君のいちからわかる経済教室;国民所得とその分配について

経済

今回は国民所得についてとりあげてみたいと思います。
国民所得はその国の経済規模を表す基本的な経済指標でもあり、GDPやGNPなどと直接関連する経済概念でありますが、経済事情を理解するうえでもそうですが、私たちの生活にかかわるもっとも基礎的な経済用語といえるでしょう。

・国民所得とは何か

各個人が自由に使うことのできる貨幣収入のことを所得といいますが、この諸個人の所得の総計である社会の総所得が国民所得です。ただこのような言い方ではあまりにも表面的で理解しがたいでしょう。
そこで、国民所得の概念を正しく理解するため、もう少したちいって考察してみます。

国民所得を正しく理解するうえで大事なことは社会的総生産物に対して確認しておくことです。
社会的総生産物とは、人間社会が存続していくうえで不可欠の物質的財貨を獲得する過程、すなわち人間が自然へ働きかけ、これを変形する生産の成果を意味します。そして、この生産物を作り出す人間の労働を生産的労働といいます。
生産的労働によって年々生産されている社会的総生産物は、商品の形をとり現物形態としては生産手段と消費手段とからなっており、価値の形態からみると不変資本(C)と可変資本(V)と剰余価値(M)の合計といえます。

ところで、この社会的総生産物の全部が社会の諸国民の所得となって、諸個人の手に入るわけにはいかないのです。というのは、社会的総資本の再生産が続けられるためには、まず不変資本(生産手段に充てられた資本部分)の価値にあたる部分が、その年に使われた生産手段をうめあわすのにあてられなくてはならないからです。
そこで、社会的総生産物のうち不変資本の価値にあたる部分を差し引いた残りの部分、すなわち、その年に新しく生産された価値にあたる部分だけが、社会の諸国民の所得になるのです。
こうして、社会的総生産物の一部が国民所得となるのです。したがって、国民所得は価値の観点からみると、新しく生産された可変資本(賃金)と剰余価値(利潤)の合計といえるでしよう。

国民所得をこのようにとらえると、この国民所得をつくりだすのは生産的労働者であることを確認すべきでしょう。すなわち、製造業や農林水産業のような物的財貨の生産にかかわる産業部門の労働者の労働によってつくりだされるのであって、それ以外の商業やサービス業など、収入が発生するすべての経済活動において国民所得が生産されるととらえるのは誤りといえます。

・国民所得の分配と再分配

生産された国民所得は貨幣収入の形で諸国民に分配されます。
まずは、生産手段や消費手段の生産に携わる資本家の利潤と労働者の賃金になります。この過程を国民所得の「第一次分配」といい、そこでの収入を「本源的所得」といいます。
資本の機能分化によって、生産部門で生み出される利潤(剰余価値)の一部を源泉として形成される商業資本家の利潤(商業利潤)や貸付資本の利子、そして商業労働者や銀行労働者の賃金も「本源的所得」に属します。

次に、これらの資本家や労働者の「本源的所得」の一部が、その他の不生産的部門に向けて支出され、その部門の資本家や労働者の収入になります。この過程を国民所得の「第二次分配」(再分配)といい、そこでの収入を「派生的所得」といいます。
サービス部門に対してみると、本源的収入や派生的収入を受けた資本家や労働者の支払いによって、これらサービス業の資本家や労働者の利潤や賃金が発生するのであって、やはりこれらの収入(所得)も「派生的所得」の一種といえるでしょう。
資本家や労働者の本源的収入の一部が税金などをつうじて国に集められ、国による支払いをつうじて公務員などの収入が生まれますが、これも「派生的所得」の一種なのです。

こうして、生産的労働者によってつくられた国民所得は社会の諸国民に分配されるのですが、資本主義社会の場合、この国民所得の分配と再分配において大きな役割を果たすのが国家予算です。
国民経済のパブリックセクターとしての国家予算(国家財政)は歳入と歳出とで構成されているのですが、福祉や医療、教育、公共事業をはじめ司法、立法、行政における諸活動のため国民から調達した公金(租税)を支出・運用することによって、国民所得を分配・再分配する役割を果たすのです。

・国民所得統計の落とし穴

一国の経済活動の規模とその拡大の程度について、国民所得の概念であらわされていることがよく見受けられます。たとえば、「日本の一人当たりの所得」に換算して日本の経済規模が世界水準にあるといった具合にです。ここでは、一人当たりの国民所得の大きさによって、日本の経済力や生活水準の高さが論じられているのです。
そこで、「一人当たりの国民所得」の国際比較における問題点について指摘しておきます。

まず、国民所得は価格評価可能な財やサービスを中心に貨幣的取引の大きさであらわすのですが、1人当たりの国民所得が大きいという場合、生産物やサービスなどの価格が高価ということがその基礎にあります。財やサービスの価格が高いということは、当然これに対応して生活費が高くなりますから、給与が高くなければ生活が維持できません。
逆に言うと、途上国では一般的に物価が低いので、低い給与で生活できるということです。
なので、形式的な数字の国際比較によって、その国の経済力や生活水準を比較するのは一面的な捉え方になりかねないということです。

また、「一人当たり」とは、資産家などの高額所得者や、失業者を含め中小・零細企業の賃金労働者などの低額所得者を全部合計して、総人数で割るという計算によるものです。
競争を原理とする資本主義経済においては、格差の存在とその拡大傾向が常に存在しているのです。そう考えると、「一人当たり」という捉え方はこのような格差の存在を度外視し、さらには社会の底辺の所得層を軽視する把握になりがちなのです。
これでは、国の経済力や生活水準を正確に捉える点においては制限があるといえるでしょう。

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