「withコロナ」を考える
新型コロナの感染拡大に、ある程度の歯止めがかかり緊急事態宣言が解除され、経済復興へ舵が切られようとしている最中、「withコロナ」という言葉を耳にすることがしばしばありますが、これってなんとなく抵抗感を感じているのは私だけでしょうか。
コロナとの共生、共存という意味で使っているのだとは思うのですが、はたして適切な表現なんでしょうか。
コロナとの闘いでもあり、コロナと向き合いながら人類はこれから生きていかなければならないということなんでしょうが、新型コロナ真っ最中の時は「コロナとの戦争」なんだという考え方が主流であったように思います。
ところが、ちょっと落ち着きをみせてくると、今度は「withコロナ」となるんですね。
まさに、「経済復興」と「withコロナ」は表裏をなしているように思ってしまいます。
勿論、長い時間をかけながら、これからも私たちはコロナと向き合っていかなければならないことは言うまでもないのですが、だからといってコロナと共生、共存するしかないと言い切るのはいかがなものかと考えますね。
ある時は「コロナとの戦争」、そしてある時は「withコロナ」で言い表すのには、何か政治的な意図が見え隠れしているような気もするのですが、なんとなく都合のいいような使いまわしにしか思えないのですが。
ちょっと考えすぎかもしれませんがね。
すでに世界で740万人の感染者、そして42万人をこえる死者を出しているのを考えると、そして今もなお感染拡大が世界中で起きていることを考えると、少なくても「withコロナ」は感情的には適切な表現とは思えませんね。
一日も早く「withコロナ」ではなく「withoutコロナ」の世界を目指し、尽力していくべきではないでしょうか。
まだまだ、先は長いのですが、人類がワンチームで頑張るしかないですね。
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